文学青年保存館

2023 7.25 ブログの更新を停止しました

風の吹く日にブッコフにいる

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 目の前にはマイケル・サンデルの有名な本『これからの「正義」の話をしよう』がある。
 え? これ、買うの? 今更? 恥ずくね?
 ――俺の心は揺れている。

 人生には暇を潰さねばならないときがある。たとえば、急に休講になってしまったときとか、家に親戚が訪ねてきたときとか、諸々。
 ともかく、家を出る必要に迫られた俺は、取るものも取りあえずウォークマンをポケットに突っ込むと、ベランダから外に出た。革靴は玄関にあるので履くことはできない。白黒チェックのサンダルを装備したまま、自転車に乗る。

 風が強い日だった。1分走っただけで目にゴミが入る。気温は高く、朝のニュースでは都内で桜が咲いたとか言っていた。植物が播種するには最適な気候だと思うが、厚手のパーカーを着てきてしまった俺は汗ばむシャツに苦慮している。
 一路、向かったのは市立図書館である。途中で薬局に寄ってマスクと目薬と水を買った。これだけあれば、図書館で夕方まで時間を潰すことはたやすい。と、思ったのだが。
 図書館は白いフェンスに囲まれていた。見れば、改装工事中の文字がある。
 ううむ仕方ない。それならばと、近所にあるブックオフへと向かうことにした。図書館で時間を潰すよりは人間尊厳力が一段ほど劣るが、まぁ古来から本屋で時間を潰すのは定石であるからして云々。

 店内に入り、ウィンドウショッピングを始める。漫画のコーナーは人でごった返しているが、文庫のコーナーは人がいない。世の活字離れを実感しつつ、これ幸いと背表紙をなぞる。
 しかし、読みたい本はなかなか見つからない。目についた本の1ページ目を読む。さすが著名な作家だ、趣がある。でも、これを買って帰って読もうとは思えない。そんなことを何度も繰り返す。
 通路の両端を無数の本に挟まれ、思った。自分の読みたい本を探すのは非常にむずかしいものなのだと。
 
 ふと、通路の奥が目に入った。小学生くらいの男の子がひとり、ベンチに寝転がって漫画を読んでいる。
 今日は春分の日なので、小学校は休みなのだろう。両親の姿はないようだ。彼も時間を潰すため、ここに来たのだろうか?
 友達は居るだろう、でも、予定が合わなかったのかもしれない。家にゲームはあるだろう、でも、やり尽くしてしまったのかもしれない。
 どんな理由にせよ、ブックオフでひとり時間を潰している。その姿が、俺と被った。かつて同じ時分だった俺とも被る。あのつまらなそうな目は、ビー玉を床のレールに沿って転がしていた俺と同じだ。
 人生には、暇を潰さねばならないときがあるのだ。

 などと、感慨に耽っている場合ではない。入店して30分、そろそろ埋没費用を回収したい。
 コンコルド効果に囚われた俺は、何としても面白い本を見つけ、買い、読む必要がある。
 そして見つけてしまったのが冒頭の件になる。マイケル・サンデル、『これからの「正義」の話をしよう』。

 14位! と書かれたランキングコーナーに乱雑に積まれたそれを少し読んだ限り、これは興味深いと思った。災害時に値を吊り上げる市場の話を平易な文で語っているが、すでに面白い。なるほど、ランクインするのも当然だ。ハヤカワ文庫なのもポイントが高い。
 しかし、今更? という感がよぎる。今になってこれを読むのは、なんだか負けた気がするのは気のせいだろうか?
 それにこの装丁……ゴシック寄りの美麗なフォントが踊るこれをレジに持っていくのは、何だか恥ずくないだろうか?


 葛藤すること数分、俺はある奇策を思いついた。書店でアレなモノを買うときの必殺技、サンドイッチだ。
 他のさも普通な本と一緒に買うことで、アレな本の威力を最低限にすることができるテクニックである。本当にそれで人間尊厳の大事なものが守れているかは疑問だが、他に手はない。俺はサンドイッチする本を探した。こうなれば何でもいい、少しでも読みたいと思った本を一緒に買ってごまかそう!

 そう思って手に取ったのが、リルケ詩集である(えぇ……)。

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 まさかの、詩集。これはともすればサンデルの本より恥ずかしい。しかもリルケ(内容は好き寄り)。
 しかしここには高度な読みが介在している。マイナスにマイナスを掛ければプラスになる! それにレジのあの受付のお姉さんは、おそらくリルケなぞ知らないだろう。だがもし知っていても、俺の大学生然とした雰囲気と相まって、講義で使うのかな? とかそんな(以下略)

 帰路、夕暮れ。風はいつのまにか寒くなっていたので、パーカーのファスナーを首元まで上げた。
 めくるめく舞う花粉と塵とPMなんたらの中、820円を失った俺は自転車を漕いだ。
 一人カラオケにでも行けばよかったかなと思いながら。

どんなにか遥かな場所から僕にくる風の吹く日にベランダにいる
            ――早坂類『風の吹く日にベランダにいる』