文学青年保存館

2023 7.25 ブログの更新を停止しました

雨季追憶のスパイラル

 ベランダに出てすぐ、ドン、という嫌な音がした。
 音のした方へ行くと、ビニル製の波板の上に何か載っている。よく見れば小さく動いている。濡れた羽を時折動かし、呆然とした表情で虚空を見つめる、それはスズメの雛であった。
 体長は10センチあるかないか。それなりに育ってはいるようだが、飛ぶことはまだできないようだ。
 そういえば、妹から「最近スズメが巣を作ったんだよ」と聞いていたのを思い出す。雨樋のスキマを棲家としたようで、今居る位置からは見えないが、おそらくそこから落下したのだろう。
 さて、どうしたものか。覚悟しなければならないことはふたつある。
 ひとつは、あの雛を見捨てる覚悟だ。よく言われるように、人間が触れるともう自然では生きていけなくなる。人間の臭いがつくかららしい。じゃあゴム手袋をつければいいような気もするが、ニオイきつそうだし、もっとダメそうだ。そもそも人間が自然界の物事に関与すべきかの問いを迫られているような気もする。
 もうひとつの覚悟は、あの雛が落ちた原因は自分にあると認める覚悟だ。
 ベランダの引き戸をガラガラ開けた音に驚いて落ちたのだとすれば、責任の一旦は俺にあるのではないか。
 呻吟する間に、霧雨は舞い続ける。日照不足が叫ばれる、現在の時節は梅雨である。明日もその先も振り続ける雨は、あの雛から生命のリソースを奪い続けることだろう。
 しばらく見ていると、チキチキという鳴き声が聞こえた。雛からではない、これは――
 庭木の枝に、スズメが一羽止まっている。親鳥だ。異変に気づいたのだろうか?
 俺はそそくさと家の中に戻ると、窓ごしに彼らを観察することにした。
 親鳥は口になにか白いものを咥えている。おそらくエサだが、しきりに鳴くばかりで、仔の元へ行く気配がない。雛を視認できないのだろうか? それとも雛を自分の子供だと認識できないのか。親鳥は数分周囲をうろついた後、どこかへ飛び去ってしまった。
 残されたのは、波板の奥に身を寄せ、動こうとしない雛と、それを見ている俺だ。
 雛は、おそらく1匹だろうと聞いている。一粒種だ。そんな雛を、親が簡単に見捨てるだろうか。さらなるエサを探して、もう一度戻ってくるのではないか。さっきは俺がいたから、警戒して雛に近づかなかったのかもしれない。それとも、巣立ちを促しているのか。実は飛べたりするのか。
 考えながらも、何ができるわけでもなかった。それは親鳥も同じはずだ。10センチまで育ってしまえば、咥えて巣に連れ帰ることはできない。
 このまま波板の上で暮らす? それも厳しい。雨ざらしな上、少し歩けば雨樋に通じる水路に落ちてしまう。一応、樋を流れていけば、鬱蒼と茂る庭に通じているが、雛が無事で済むとは思えない。
 もっと言えば、捕食の危険もある。家の周囲でカラスが鳴かない日はないのだ。こんなに開けた場所にいる雛など、おやつ感覚でパクつかれてしまうだろう。
 俺は窓のカーテンを閉めると、自分の部屋に戻り、プリコネのデイリーを始めた。

 数日経って、ふと波板の上を見た。
 当然ながら、そこに雛は居なかった。
 朝晩、家の周辺ではカラスの鳴く声がする。ただ、昼間は、庭から小鳥の鳴き声がする。
 梅雨が明ければ、じき、セミも鳴くだろう。