頭文字M ~軽快最速伝説~
ふと人差し指を見ると、血が出ていた。爪の下に1センチほどの血溜まりができている。
(バカな――)
疑問に思う間もなく、痛みが走る。
(さっき庭で水を撒いたときか? フェンスに、指をぶつけた……!)
傷口から溢れた血が垂れ、床に血痕を刻んだ。処置をしなければならない。
だが、なぜ? 作業後にミューズ(泡タイプ)で手を洗ったときは、何も感じなかった。
(気づかなかったとでも言うのか? この俺が――)
「フフ、焦っているようですね……俺さん……」
「お、お前は……」
「私はメンターム。以後お見知りおきを。そして今宵、あなたとダウンヒルで戦うのも――私です」
「始まったようっスね……」
「あぁ……この勝負、“自分”を通したほうが勝つ」
「お前に頼ってる暇はねえ!」
立ち上がり、洗面台へ駆ける。まずは水だ。血を流し、ティッシュで押さえる。その後消毒をして、絆創膏を貼り――
「その処置は間違っていますよ。近年では消毒液は傷の治りを悪くするというのが定説です」
「そうなんスか?」
「そうだ。消毒液は細胞に悪影響を与える。そもそも消毒液ですべての菌は殺しきれず、また多少菌が残っていても傷は治るんだ……一本取られたな、俺」
「私を使い、傷口の湿度を保つことで治癒を早めるのが得策でしょう」
(ぐ……このままメンタームを使うしかないのか? それ以外に、手は!?)
しぶしぶメンタームに手を伸ばす。言われるがままフタを開け、軟膏を掬おうとしたところで、気づく。
(いや、まだだ! 見つけたぞ、構造上の欠陥!)
「ん? 俺さんの手が止まった……んスか?」
「止まった、いや……そうか! 止まらざるを得なかったんだ」
「ど、どういうことです」
「メンタームの容器をよく見ろ。すでに何度か使われ、軟膏が“浅いすり鉢状”になっている」
「ほんとだ……でも、それがどうしたっていうんです?」
「掬えないんだよ……あの角度じゃ、どう頑張っても! 指先で大きくえぐりでもしない限り!」
(我が家に綿棒は無い。この前使い切ったからな……つまり、見栄えの悪さと不衛生を覚悟で、大きくえぐり取る必要があるってことだ!)
「やりますね……俺さん。確かに私の説明文には、適量を患部に塗るとあります。そんなことをすれば、適量どころか、指全体がベトベトになってしまう……」
(だが、この先使うことも考えると、ここらで大きく穴を開けるしかない! メンタームには欠陥がある!)
「なんてしょうもないディスり方……」
「だが、有効だ。メンタームのあり方を揺さぶるには充分な威力を持っている。古来から存在する容器の形、それ自体を疑問視した俺の知略が上回った」
「てことは……」
「ああ、このラウンドの勝者は、俺だ」
「スゲェ……スゲェっすよこのバトル! あ、このまま2ラウンド目に突入するみたいッス!」
「ぐああああっ――!」
思わず、声が出た。90℃はあろうかという熱湯を、ふくらはぎに浴びたのだ。
指先のキズの比ではない。ハナから全力の激痛が襲う。
すぐに冷凍庫からアイスノンを取り出し、患部に当てた。5分経っても疼痛は止まず、皮膚全体の赤みも増していく。
「やけど、ッスか……」
「とんでもないアホだな。カップ焼きそばのフタを、必要以上に開けている。その上で自室で作業をしながら湯切りをすれば、お湯が漏れるに決まっている」
「来ますね、ヤツが……!」
「さあ、私の出番です。私の効能は擦り傷だけに留まりません。皮膚のあらゆる炎症をカバーしているので――当然、やけども守備範囲内です」
(しまった、また付け入るスキを与えてしまった――! しかも)
「ええ、あなたが先ほど“えぐった”おかげで、私の構造上の問題はクリアされています。」
(ここは、大人しく塗るしかない……! ――――!? なんだ、この感覚は!? キズが……)
「な……なんスかあれ! ウソみたいに赤みが引いていきますよ!」
「あれは、痛みも引いているな。メンタームは第三類医薬品だが……よもやここまでの効力があるとは……ナメていた」
「驚くことはありません。私の“dl-カンフル”は消炎効果に加え、鎮痛効果をも兼ね備えている。さらにユーカリ油も同様の効果を持ち、傷口を保護します。“第三類”の安全性で、です」
(強い……! あれだけつらかった症状がもう穏やかに……これが軽快最速伝説と名高いメンタームの力か――!)
「…………! 言葉もねぇッス……」
「終わったようだな。趨勢は明らかだ。メンタームはそのあり方をシンプルに説明し、そして役立てた。もう俺に勝ち目は、ない」
ちょっと攻めてみたけど攻めれてねーなこれ。
まあ色々やってみよう