文学青年保存館

2023 7.25 ブログの更新を停止しました

煽れよ煽れ世の中心

 

                                    f:id:Solisquale:20200113184004p:plain

 煽り運転煽りという言葉は、辞書にあるうちのどの用法なんだろう。
 恐怖感を煽る運転ということなんだろうけど、
俺らが使うゲームプレイ中の「煽り」の用法とちょっと違う気がする。

 感覚的に近いのは「オラつく」「挑発する」「勝ち誇る」。
 立場としてこちらが上だと顕示する行為が煽りだと思う。

 メカニズムとしては「応援」に近いかもしれない。
 応援は期待するものに自身のリソースを賭け、
負ければ同じように悲しみ、勝てば同じように喜べる感情のギャンブルみたいなもん。

 煽りもゲームの勝敗が決まる前に行うことで、勝ったあとの満足感を向上させる効果がある。
 もちろん勝ったあとに煽っても同様の効果が見込める。

 このとき、自分が上になることの喜びに加え、
相手を下にすることで仄暗い悦びも味わうことができる。
 こちらを上げると同時に相手を下げる――自己満足を得る方法の中でも、煽りはコストパフォーマンスがとても良い。

 なお、煽った上でゲームに負けた場合は割と大きなカウンターがくる。
 それでも煽りが決まったときの快感に比べれば不快感は少なく、更に煽りは有利な状況で行われることが多いため基本的には分のいい賭けとなる。
 またゲームによっては相手の煽りを見ない設定にすることもできる。
 総じて、ローリスク・ハイリターンな行動となっている。

 しかしなぜ人は煽らなければならないのだろう。
 そこまでして自分は優れていると実感しなければならない理由は何だろう。

 もしや本能か?
 少なくとも身体の方は生まれた瞬間から生存競争をしている。
 細菌やらウィルスに勝ち続けている。負けたら死ぬからそれしかない。
 ソーシャルな方面では負けても死にはしないが、勝ち続けた方が生存に有利な場所にたどり着ける気はする。
 肉体的にも、精神的にも。

 競争から対比が生まれるなら、対比の肯定はやがて煽りの礼賛となるのかもしれない。
 赤の女王が走り続けることを強いるなら、僕はこの競争を続けるしかない。

私はここ 冒険の途中
ひとりにひとつ 与えられてしまった 世界の真ん中
           「冒険彗星」――榎本くるみ