文学青年保存館

2023 7.25 ブログの更新を停止しました

ある冬の日にお腹を下しながら皮膚科へ行くことについて

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 ニキビがいくつもできた。こんなことは初めてだった。
 特に不摂生をしたつもりはないが、生活習慣は悪いほうだ。
 だから今までもニキビはちょこちょこできていたが、ここまで酷くなることはなかった。

 ウィキペディアで病気、と調べると、ためになる教訓が書かれている。
 曰く、病むという事は、身体的、精神的、社会的生活のどこかが不健康であるというサインだと。
 つまり俺のニキビも、そのどこかに異常をきたしているということだ。

 これは生活習慣を直すいい機会になる。が、まずは治すことも必要だ。
 昼前に起き、ねぼけた頭で町医者を検索すると、ネット予約ができる皮膚科を見つけた。
 診療は13時までだから、急いで支度をしなければならない。

 しかし、慌ただしく家を駆け回り外出の準備をする俺は、ひとつ重要なことを失念していた。
 俺がきょう目を覚ましたとき、かすかに腹痛を感じていたことを……。

 寒風の吹くなか自転車を走らせると、さっそく雲行きが怪しくなった。
 お腹が痛い。
 マフラーも手袋もニット帽も付けずに飛び出した悪手が響いた。腹部は寒さに敏感である。
 しかし予約した手前、家に戻ることはできない。
 遅々として変わらない信号機を見つめながら、このときはまだ小さな不運を嘆いた。

 病院につくと、あと数人で自分が呼ばれるようだった。
 しかしその人数カウントは数分で進むこともあれば、10分近く進まないこともあった。
 つまり、トイレに行くタイミングがまったく掴めない。

 いまトイレに駆け込めば間に合うかもしれない。だがトイレは病院の中には無かった。一度モールに出て、廊下の奥まで進む必要がある。その間に呼ばれたら後回しにされるかもしれない。
 腹痛の波――1分おきに来る痛みと戦いながら、俺は持ってきた本『これからの正義の話をしよう』を読んだ。
 集中できるはずもなく、目がすべって読書どころではなかった。内容がなまじ面白いから更に悔しい。
 いや、苦しい。これはダメだ。痛い、気持ち悪い、気分も悪い。脂汗も出てきた。

 もし間に合わなかったらその時はその時だ――。
 そう結論するまでに貴重な数分を要したが、とにかく論理武装を終えた俺はトイレに向かった。
 少しくらい診療が後れても構うまい。現状の生活の質を改善することが急務だ。

 廊下を進み、多目的トイレに入った。これで大丈夫、事態は全て解決――
 とは、いかなかった。
 一向に便意が湧かなかったのである。
 下痢のときは正露丸をすぐに飲む癖が響いたか。
 便は出ないが、汗は全身から出る。にわかに冷たくなる腹部も、我慢ならない疼痛を生み出し続ける。

 人間が生涯に経験する苦痛のうち、腹痛はどれだけの部分を占めるのだろう――。
 俺が一神教を信奉していたなら、ここで神の名を叫んだことだろう。
 俺は震える足取りでズボンを穿きなおし、病院の待合室に戻った。
 事態は何も好転していない。待ち人数は対して変わらない。腹痛の程度も変わらない。

 あらゆることに後悔した。
 ニキビができた生活習慣、わざわざ今日皮膚科に行こうとしたこと、正露丸を飲んでこなかったこと、中々呼ばれないからトイレでもう少し頑張ればよかったかもしれないこと、入り口のすぐ側の椅子に座ったから誰か入ってくるたび冷たい風が入り込んでお腹に響くこと――!

 エルロスさん――。
 何分待ったか、それが自分の名前であると気づいて、ハイと声をあげた。
 果たして、非常勤の女医は俺の脂汗まみれの顔を見て、正しい診察ができたかどうか。

 塗り薬をいくつか出されることになり、その使用方法を別室で事細かに説明されている間、俺にできたのは看護師の話に機械的に頷くことだけだった。Aボタン、Aボタン、Aボタン。
「何かご質問はありますか?」
「はい、食生活って関係あるんですかね。脂っぽいものとか……あと、納豆とかニンニクとか食べちゃって――」

 何してんの俺!?
 そこは早々に話を打ち切っておけよ。薬を塗る順番に「興味深いですね」とか言ってる場合じゃないんだよ。
 依然として襲い来る腹痛に耐えながら、長く有意義な診察は終わった。

 そのまま数分待って、会計も済ませた。心は無だった。
 俺は出された処方箋を引っ掴むと、トイレに駆け込んでから家に帰った。
 正露丸を飲んで、ふて寝した。
 薬局へ行くのは、この昼寝が終わってからでも遅くはないだろう。