年末之大反省文
振り返ると甲斐のない人生だった。
幼少の砌においては、ただ朋友と笑いあうだけでニンゲンのジンカンたるを満たせた。
暦が過ぎ、中学で現実を知っても、まだ何かを為せていた。
桜が散り、高校で挫折を味わうと、もうそろそろ辛くなる。
これ以上は語るまい。
人は他人に影響を与えることで人間の人間たるを満たす。
当然、孤独になるほどその甲斐はなくなる。熊手で砂を掻くように。
世界は荒んでいく。
少しずつ膿んでいく傷に、社会は気づかないフリをしていたようだが、
今思うと確実に、荒廃は進行していた。
コジンシュギの台頭、と書くと大げさになるが、
人々から余裕が徐々に消えていった、と書くと、諸賢も思い当たる節があるのではないか。
実感として、煽りが増えた。
エビデンスは無いが、ルサンチマン察知装置を付けた人なら気づけるはず。
行き場のないイノセンス――。amazarashiが唱える戦いは、もう遍在している。
この厭世観はどこから来ているのか?
それとも、世界には始めから在って、
子供の頃はそれに気づいていなかっただけなのだろうか?
かつてマックロクロスケと囃したものが、ただの黒いススだと気づいただけ?
分からない。
分からないが、俺は謎の焦燥に駆られたままだ。
それはひどく形而上的で、名状しがたく、焦りと言うには軽すぎ、狼狽と言うには過言で、その他いろんな感情が綯い交ぜになったような、坩堝の底から漏れ出た何かだ。
今日はガラにもなく長く韜晦しているが、
その理由はつまり、反省することすら思いつかないことによる。
内向、ここに極まれり。
いいでしょ、別に。
大晦日のパーチーのために買ってきたお寿司を、夕方に少し摘まんだってさw
勝手に跛行していく身体に、ちょっと嫌気が差してきてるけど。
ええ探しますよ、自由を見つけるために。
あの日のように 笑えなくていい だって ずっと
その体で生きてきたんでしょう ――「ゼロ」BUMP OF CHIKEN