文学青年保存館

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BUMP「ウェザーリポート」考察

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 BUMP OF CHIKENの曲は意味を取りにくいものが多いが、ウェザリポートは特に解釈が別れると思う。
 昔からなんとなく聞き流してきたが、ふとインスピレーションが湧いたのでここに掘り下げる。

 この曲は、分割された自己、イマジナリーフレンドとお別れする歌だ。

 最初の「雨上がり」は、泣いた後の隠喩である。
 おそらく小学生の主人公は、泣くほど傷つく何かに遭った。

 続く歌詞で、主人公と誰かが遊ぶ描写がある。泣いた後の気晴らしだろうか。
 「傘がひとつ」「傘の中 笑顔がふたつ」とあるように、どうも相合い傘をしているようだ。
 しかし、遊びの内容は道路の色踏み。相傘の状態でこの遊びをすることは通常、できない。

 背後霊か、ライナスの毛布か。このもうひとりの自分を、便宜上<イマ>と呼ぶ
 そしてこの歌はおそらく、<イマ>の視点を中心に展開していく。

 (イマが)何も言えないのは、(主人公が)何も言わないから。
 あんな事=冒頭の泣くような事件があったのに、主人公は笑って流そうとする。
 イマはそれを見て、それでも続く日常を肯定する。

 だが、事態は風雲急を告げる。再び何かを経験し、ふたりは「いつもより沈黙」する。
 続く「夕焼け」は斜陽、すなわちお別れが迫っていることを意味する。
 イマは、主人公が傷つく瞬間を「近くで見ていた」。背後霊のようにいつも一緒なら、それは可能だ。
 しかし主人公には笑みによって傷心を隠す悪癖があった。
 イマは、傷つけた何者かを許す主人公を見て、せめて傘の内側=自分のテリトリーの中では、自分を許して欲しいと願う。

 ただ、その高度な道徳的処理は、心が成長しなければできない。
 そして成長するということは、これまで傷心を共に共有してきたイマとの離別を意味する。

 イマが黙して触れないのは、そっとしてあげている「思いやり」である一方、
痛みを知るのが――イマ自身が消えてしまうのが怖いからでもある。

 「最終下校時刻」は、夕焼けよりも強い終わりの隠喩。
 この部分から歌詞の視点がブレはじめる。自己の混濁が始まっているのだろうか。
 主人公が「交差点で」また明日と別れ、「川を渡って」振り向くと、かつてのようにマンホールの上で傘を回すイマ=昔の自分を幻視する。
 交差点と川は共に境界のメタファーである。他の曲「天体観測」ではフミキリがその役割を担っていたことを考えると、藤原が交差点を使うのは意図的だろう。

 さて、ここでまた視点はイマに戻る。
 傘の向こう側の信号は赤、という歌詞を読み解くためには、そうしなければならない。

イマ――(見る)――>振り向いた主人公――――赤信号

 傘の向こう側は、自分のテリトリーの外を意味する。
 そして、そこにはイマがついていくことはできない。文字通り赤信号だ。
 赤信号で止まって振り向いた主人公は、これを本能で自覚した。

 だから、続く歌詞はほぼ答えのようなものだ。
 内罰的な自分が、それでも生きていく今日を、茶化さず受け止めて欲しい。
 イマの思い――自分の中の答えに気づけたとき、主人公は成長する。

 「車」は大人の男性を意味する一般的なメタファーである。
 大人の階段を登る「交差点」の入り口で、主人公はイマがもう居ないことを受け入れる。
 傘の内側には自分ひとりしかいない。
 だが、最後に「自分で抱きしめた」のは、自己肯定ができたことを示唆していよう。

 ウェザーリポート。
 それは天気のように変化する人生で、絶対に訪れるお別れの歌。
 まだ幼い子供の時分に経験する、通過儀礼の応援歌だ。

 というわけで考察終わり。さて、世の人はどう思っているのか、ちょっくら調べに行こう。
 これで失恋の歌! とかが支配的だったらどうしよう……。 

※天体観測を除いた「」部分がウェザリポートの歌詞の引用となります。
©photoAC「水たまり」