文学青年保存館

2023 7.25 ブログの更新を停止しました

東京∮十味敗毒湯

 米津玄師のポッピンアパシーが好き。
 その昔、誰もが思い描く空想をピシャリと言い当てているから。

 ガキの心なんて脆いもので、事あるごとに燃え尽きる。
 人間関係、受験の失敗、疾病――ナニで挫折したかは覚えてないが、
うら若い僕は自分というものが分からなくなって、叔父に尋ねたことがある。
「真っ白になったらどうすればいいと思う?」
「よく分からないけど、色を塗ればいいんじゃない」
 経緯を説明せずに訊いたから、これが深遠で浅薄な比喩だということに叔父は気づかなかったかもしれない。

 目を開け そうだ少なくとも
 自分の塗った色くらいはわかるだろうが  ――米津玄師「ポッピンアパシー

 米津は本質を平易な言葉で言い表してくれる。たまに。
 UNISON SQUARE GARDENとかもそうだけど、難しく煙に巻く部分と、単直に刺す部分がある。

 ボンクラになった僕がいま立っていられるのは、過去の栄華があるから。
 幼少の砌に笑顔を振りまいた経験が、色を塗った実績の解除トロフィーになっている。

 さて、そんな米津の新譜「KICKBACK」は何を表現しているんだろう。
 蒙昧な一般人であるところの僕が見るに、これは競争社会のヒガミを描いている、よね?

 なろう全盛の時代、楽して生きたいの標語は恥ずべきことではなくなっている。
 たとえ敗者になっても、どうにかズルできないかと考え続けている。――誰が?

 弱者かな。弱者って何だろう。運が悪いことの別名?
 弱者は社会によって保護されるから、そういう意味では強者のパッシブより強いバフが得られる。
 でも、保護って――一体誰がしてるの?

 良い子だけ迎える天国じゃ どうも生きらんない ――米津玄師「KICKBACK」

 僕は曖昧でグレーな部分が世の中には必要だと思っているタイプの人間で、
だからワンミスで排斥される人たちに憐憫の情を抱いてしまうことがある。

 とはいえ現実でチェンソーを振り回しても、快刀乱麻とはいかない。
 まず悪魔が居ないし、どちらかといえば自分が悪魔だし。PVと違って転生トラックも走ってない。

 だから米津に歌ってもらうしかない。
 J-POPはいつだって溜まる現代人の鬱憤のガス抜きであり、蓄積した毒素を排出させる漢方薬なのだ。

 ポッピンアパシーから正当進化したキックバックは、今や一世を風靡する作品のOPになった。
 んでも、チェンソーマンのOPには合ってない気がする。
 歌詞は良いけど、曲調が……どうしてもキャッチーなメロディを求めてしまう。

 まだ心は強かった小学生のままみたい。